12/23/2016

新しい建築様式への道(その2)Ways to a New Style in Architecture(part 2)

これから長い話をしようと思うが、その最初の段階はこの道の入り口あたりから始めようと思う。

私は学生の頃彫刻を学んでいたが、そのテーマは立体としては非常にあらわしにくい領域に意識が向いていた。
またそれを表現するには当時私が獲得していた造形力や認識では非常に困難であることを感じていた。
造形の分野で惹かれていたはロシア構成主義のナウム・ガボ、イギリスのヘンリー・ムーア、日本だと堀内正和あたりで、皆良い線行ってるな~と感じていた。

だが、民族彫刻にはその線を越えるものがあった。とくにアフリカ、タンザニアのマコンデ高原に住むマコンデ族の彫刻にはその逆鱗が見えた。
どんなことかと言うと、彼らの空間意識はかなり我々文明人とは違って、見えない空間を実に巧みに操っていた。
具体的に言うと空洞や空間があたかも流動的に感じるように物質的彫刻で表しているのだ。(今はネットで検索しても、みやげ物風にみえるのが大半で当時衝撃を受けたすばらしい造形力のある作品は非常にまれ)

同じ頃、これと類似するものを日本でも見つけた。それは瀬戸市陶磁器資料館に展示してあった火焔型縄文土器だった。
これはめったに資料として表に出ない代物で、後々図鑑で丹念に調べても同じものに出くわさなかった。
それはマコンデ彫刻よりも衝撃的な空間を作り出していた。
言葉でうまく表現しにくいが、何も無い空間がまるで炎のように流動的に見えたのだ。
ただ、この”見える”という表現は物質的なものが見える場合とかなり違って、意識と感覚が伴なうので人によっては気付かない場合もある。
このような課題を追っかけている彫刻家はかなり沢山いるだろう。ただ並々ならぬ作品を残していながらなかなか一線を越えるものにはお目にかかったことが無かった。

たぶん彫刻以外の分野でも同じような意識でこの課題に取り組んでいる人たちがいるのではないかと思っていた。共通する分野はスピリチュアルに向かっていたが、当時は1980年代初頭スピリチュアル界ではようやくグル(師匠)を追い求めるな、といった意識が芽生え始めたころだった。

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