7/05/2026

テンセグリティの構造原理  第二章 有から無へ 

 ユークリッド幾何学で点は限りなく小さくても存在するものと仮定し、その上で線や面・立体を形成し、まるでバベルの塔を構築するかの如く不滅の理論が積み重なっていました。
その歴史は約2千年も続いてきているので絶対と信じられてきたました。

ところが、約2百年前その常識が覆されました。いくつかの矛盾点が発見され、理論上破綻していることが発覚したのです。かつては神の領域にまで達しているとされた巨塔が、実は雲の上で建設が止まっており、そこから先はどれだけ積み上げようとしても崩れ落ちるばかりだったのです。

タロットカードの「16番:塔(The Tower)」は、崩れ落ちる塔を描いた、突然の崩壊、価値観の激変、そして目覚めを象徴するカードです。ショッキングな出来事を暗示しますが、それは新しい創造のための「破壊と再構築」というプロセスでもあります。

先の矛盾点はその後、曲がった空間(球面上や鞍型)における図形の性質を論理的に記述し、非ユークリッド幾何学と呼ばれるようになりました。

その内の球面幾何学と呼ばれる、現代ならば一般人でも分かる簡単な例を示してみましょう。

三角形の内角の和は180度です。ところが、人類が飛行機を発明し、それで長距離飛行をする時代になると問題になってきたのです。
例えば東京・オークランド・ホノルルを地球の表面上で結んだ場合、平面の地図上より地球儀上の三角形の内角の方が大きくなり内角の和が180度を超えてしまうのです。


球面上では三角形の面積が大きくなるほど内角が広がっていくのです。その結果、目的地に向けて平面上の角度で飛行機を飛ばすと到着地点がずれてしまうのです。

過去200年の間先人たちが見つけだした矛盾点は、例えて言えば雲の上に隠れていた塔の上部でした。
ところが、基礎の部分には最大の問題を抱えていたのです。
それが前章で取り挙げた核心となる『点』なのです。

従来の幾何学では、『点』は存在するものと絶対視してますが、その背景には古代ギリシャ哲学が「有(存在)」を世界の根源とし、それに反する「無」を論理的な矛盾や思考不可能なものとして徹底的に排除したためです。
哲学者アリストテレスの自然論においては「自然は真空を嫌う」とされ、空間は必ず何らかの物質が充満しているとして「無」の存在を認めませんでした。

その思考を源流とする「無」を否定する宇宙観は、やがて中世ヨーロッパに継承され、宗教の一部と化していきました。17世紀まで、ヨーロッパで「無」を始めとするゼロや無限を主張することは、キリスト教への冒瀆であり、死刑宣告を意味してました。中世ヨーロッパではゼロを悪魔の数字とみなし、ローマ法王により使用が禁じられ、1600年には、宇宙が無限であると主張した修道士のジョルダーノ・ブルーノが、異端の罪で火あぶりの刑にされているほどです。
従って、西洋思想史の全体に渡って、無が主要なテーマとして強く意識されたことはほとんどありませんでした。

このような思想形式からは無いことよりも有ることに重点が置かれることは自然の進展です。それが物質的な価値を重視する意識を促し、ひいては物質至上主義を生み出したのでしょう。
所有する者と持たざる者との間に分離が生じ、共有物というよりは個々の所有物を最優先する考え方に進んで行ったのだと思います。そこでは分かち合う意識は希薄になり、どちらかというと個々の所有が強調されて行きます。この所有を独占し始めると、そこに競争心が芽生え、勝者と敗者の間で優越意識と劣等意識が生じ、心的には嫉妬・妬みといったネガティブな感情が沸き起こってきます。階層社会・ヒエラルキーが形成され、その頂点を目指したピラミッド型社会構造が形成されていくのです。
西洋思想を端に発したこの思考形式は世界を席巻しあらゆる国々がその影響を受けてきました。

一方、東洋では「無」とか「空」は単なる「何もない状態」や「マイナス」・「所有しない」の意味ではありません。「無」や「空」は、すべての存在は他のすべての存在とつながっており、互いに関係し合っているという「真理」であり、極めて肯定的で根源的な概念としてと思想にまで高められてきました。

しかし今日、仏教や禅宗ではその解釈が一般人の生活からはかけ離れているため皆目理解できないほど抽象的になっています。

本著では「無」や「空」を幾何学的に解釈しルールとして組み込んでいくため、明らかに図示で説明可能な、そして構造として計算しうる形で提示して行こうと思っています。
そのため論理は脇に置き直感的に把握するため、『無』のイメージをざっくりとつかんでいきましょう。
東洋思想の代表である老荘思想の中には『無』とはどういうものか記述してある箇所があります。
イメージをつかむにはふさわし内容となっていますので、以下抜粋して取り上げます。

●三十本の輻(や=スポーク)がひとつの轂(こしき=車輪の中心で軸を受ける部分)に集まるが、その中心の何もない穴(車軸を通す部分)があるからこそ、車輪としての働き(用)をなすのである。

●壁は部屋を作り上げ、支えるが、その間の空間が最も重要である。
●壺は粘土で形造られるが、その中に形成される空間が最も有用である。
●それゆえに形あるものが役に立つのは、何もない無の部分が役割を果たすからである。
●行動とは、無が何かに影響した結果である。
精神の無があらゆる形の源であるのと同じように。

  『道徳経』第11章より抜粋 

『老子』第11章に登場する「車輪」・「壁」・「壺関する有名な一節は、「目に見えない空虚な空間こそが、実質的な機能(用)を生み出す」という「無用の用」の思想を説いています。

さらに目に見える形を作る、その「源」についても語っています。

行動とは、目に見えない無形の精神的な領域(意志、思考、潜在意識)が、目に見える現実や他者に何らかの影響を与えて生じる現象です。この原理は、宇宙のあらゆる物理的現象や事象が「純粋な可能性(無)」から形を成していく過程と本質的に同じものです。

次章では、従来の幾何学における『点』をどのように『無』へと転換していくか、その際に組み込む新たなルールについて具体的に述べていきたいと思います。