ユークリッド幾何学では「点は限りなく小さくても存在する」と仮定し、その上に線や面・立体を形成し、まるでバベルの塔を構築するかの如く不滅の理論が積み重ねられてきました。 その歴史は約2千年も続いてきたため、それが絶対的な真理だと信じられてきたのです。
ところが約2百年前、その常識が覆されました。いくつかの矛盾点が発見され、絶対的真理としては限界があることが発覚したのです。かつては神の領域にまで達しているとされた巨塔が、実は雲の上で建設が止まっており、そこから先はどれだけ積み上げようとしても崩れ落ちるばかりだったのです。
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これらの矛盾点は、その後の研究により「曲がった空間(球面上や鞍型)」における図形の性質として論理的に記述され、「非ユークリッド幾何学」と呼ばれるようになりました。 そのうちの「球面幾何学」と呼ばれる分野から、現代の私たちにも分かる簡単な例を示してみましょう。
平面上において、三角形の内角の和は180度です。ところが、人類が飛行機を発明し、地球規模で長距離飛行をする時代になると、これが問題になってきました。 例えば、東京・オークランド・ホノルルを地球の表面上で結んだ場合、平面の地図上よりも地球儀上の三角形の内角の方が大きくなり、内角の和が180度を超えてしまうのです。
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| 【図3:東京‐ホノルル‐オークランドを結ぶ地球上の三角形】 |
球面上では、三角形の面積が大きくなるほど内角が広がっていきます。その結果、目的地に向けて平面上の角度のまま飛行機を飛ばすと、到着地点が大きくずれてしまうのです。
過去200年の間に先人たちが見つけ出した矛盾点は、例えて言えば「雲の上に隠れていた塔の上部」でした。 しかし実は、基礎の部分にこそ最大の問題を抱えていたのです。 それこそが、前章で取り上げた核心となる『点』なのです。
従来の幾何学では『点』を「存在するもの」として絶対視していますが、その背景には、古代ギリシャ哲学が「有(存在)」を世界の根源とし、それに反する「無」を論理的な矛盾や思考不可能なものとして徹底的に排除した歴史があります。 哲学者アリストテレスの自然論においては「自然は真空を嫌う」とされ、空間には必ず何らかの物質が充満しているとして「無」の存在を認めませんでした。
この「無」を否定する宇宙観はやがて中世ヨーロッパに継承され、宗教の一部と化していきました。17世紀に至るまで、ヨーロッパで「無」をはじめとする「ゼロ」や「無限」を主張することはキリスト教への冒瀆であり、死刑宣告を意味していたのです。中世ヨーロッパではゼロを「悪魔の数字」とみなしてローマ教皇が使用を禁じ、1600年には宇宙が無限であると主張した修道士ジョルダーノ・ブルーノが、異端の罪で火あぶりの刑に処されたほどです。 したがって、西洋思想史の全体を通じて、「無」が主要なテーマとして深く意識されることはほとんどありませんでした。
このような思想から、「無(無いこと)」よりも「有(有ること)」に重点が置かれるようになったのは自然な流れです。それが物質的な価値を重視する意識を促し、ひいては物質至上主義を生み出したのでしょう。 所有する者と持たざる者との間に分断が生じ、共有よりも個々の「所有」を最優先する考え方に傾斜していったのだと思います。そこでは分かち合う意識は希薄になり、個の所有が強く強調されます。そして所有の独占が始まると競争心が芽生え、勝者と敗者の間で優越感と劣等感が生まれ、嫉妬や妬みといったネガティブな感情が湧き起こります。こうして階層社会(ヒエラルキー)が形成され、その頂点を目指すピラミッド型の社会構造が作られていったのです。 西洋思想に端を発したこの思考形式は世界を席巻し、あらゆる国々がその影響を受けてきました。
一方、東洋における「無」や「空」は、単なる「何もない状態」や「マイナス」「所有しない」といった消極的な意味ではありません。「無」や「空」とは、すべての存在が他のすべての存在とつながり、互いに依存し合っているという「真理」であり、極めて肯定的で根源的な思想へと高められてきました。
しかし今日、仏教や禅宗におけるその解釈は、一般人の日常感覚からかけ離れ、あまりにも抽象的で理解しづらいものとなっています。
そこで本著では、「無」や「空」を幾何学的に解釈し直し、明確なルールとして組み込むことで、図示可能であり、構造として計算できる形として提示していきたいと考えています。 そのためにまずは論理を一旦脇に置き、直感的に『無』のイメージをざっくりと捉えていきましょう。
東洋思想の代表である老荘思想の中には、『無』の本質が見事にとらえられている記述があります。イメージを掴むのに非常にふさわしい内容ですので、以下に抜粋してご紹介します。
●三十本の輻(や=スポーク)がひとつの轂(こしき=車輪の中心で軸を受ける部分)に集まるが、その中心の何もない穴(車軸を通す部分)があるからこそ、車輪としての働き(用)をなすのである。
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| 【図4:轂(こしき=車輪の中心で軸を受ける部分)】 |
●壁は部屋を作り上げ、支えるが、その間の空間が最も重要である。
●壺は粘土で形造られるが、その中に形成される空間が最も有用である。
●それゆえに形あるものが役に立つのは、何もない無の部分が役割を果たすからである。
●行動とは、無が何かに影響した結果である。
精神の無があらゆる形の源であるのと同じように。
『道徳経』第11章より抜粋
『老子』第11章に登場する「車輪」・「壁」・「壺」関する有名な一節は、「目に見えない空虚な空間こそが、実質的な機能(用)を生み出す」という「無用の用」の思想を説いています。
さらに、目に見える形を作り出す「源」についても言及しています。
「行動」とは、目に見えない無形の精神的な領域(意志、思考、潜在意識)が、目に見える現実や他者に何らかの影響を与えて生じる現象です。この原理は、宇宙のあらゆる物理現象や事象が「純粋な可能性(無)」から形を成していく過程と本質的に同じものです。
次章では、従来の幾何学における『点』をどのように『無』へと転換していくか、その際に組み込む新たなルールについて具体的に述べていきたいと思います。



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