この場合、以下のようにも説明できる。
「線の内側と表側が入れ替わっている、それも目に見えない極微の世界で。」
これを説明するには、やはりメビウスの輪の登場だ。
オランダの画家エッシャーはユークリッド幾何学から導かれる世界観の矛盾を絵画で示している。だまし絵として知られているが、実は彼の絵画はある真実の入り口を示している。我々の感覚が麻痺しているため、つい絵画にだまされるような感覚を覚える。
平面の世界で蟻は、その表も裏も一続きに歩いている。
本来、人が手を加えなければ一枚の紙の表裏が一体になることなどはありえない。
以前、実験的にこのねじれた面を延長させて広げてみたことがある。限りなく広げテーブルいっぱいに面を拡張した。するとある不可能なことが分かってきた。
どこまで広げていっても一つの穴を埋めることができない。
しかもその穴の入り口の面はねじれており、裏と表側がつながっている。これはイメージも膨らませ、さらに地球全体をその平面で埋め尽くしていっても不可能だろう。最後に地球の反対側まで面を広げていたとしたら、究極的に小さな穴ができる。その穴が幾何学的に閉じるかどうか問題ではない。
むしろ、球という立体の内部と外部は一体であるという事実が浮かび上がってきた。
すなわち、球に限らず、あらゆるユークリッド的立体はその外部と内部がどのように密閉されていようと極微の世界において微小な穴を通じてつながっている、という思考の事実が現実化してきたのである。
内側と思っていた空間が外側でもある。この思考の事実はエッシャーの絵によく描かれている。
無限大の記号がねじれているのはこの内外空間の事実を示しているのではないかと思う。
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